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東武ワールドスクェアで思ったこと [鐡道旅行]

先日、家族と妻の両親の計6人で、鬼怒川温泉へ旅行することとなりました。そのついでに、予てから訪問したいと思っていた「東武ワールドスクェア」に行くこととなりました。もちろん、当方の提案で。

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家族に提案した時の第一印象は、入場料が2500円と高いことでしたが、その高さは入園してみて納得でした。たとえ1畳程度の大きさであっても、自らレイアウトを製作し、それを現在維持している最中の我が身にとっては、

「世界21の国と地域より100点以上の遺跡や建築物を25分の1規模で、約14万体の人形と共に再現」した屋外の巨大な鉄道模型のレイアウトを維持し続けていくということは、並大抵のことではないだろうと、思ってしまったからです。

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園内には、2万本の本物の盆栽が実際の草木を模擬するために、建物共に植えられており、その維持だけでも大変だと思います。展示が行われる中、剪定も同時に行われていました。

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そして、風雨に晒されても動き続ける25分の1のスケールの鉄道模型。

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踏切の遮断機も動いていました。

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太陽光や紫外線、風、雨、熱、等などの外部環境によって、常に劣化し続ける状態に置かれながら、建物の質感を維持するため、定期的に再塗装する必要や、その微妙な配色を再現するための塗料の調合のノウハウの蓄積、草木の剪定や掃除、建物の補修、何万体もの人形の表情や鉄道模型の稼働部分のメンテナンスなど、気が遠くなる作業が、おそらく熟練の職人さんによって、地道に行われているのであろうことを、展示を見ながら思っていました。

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期間限定 片道100kmの通勤 [鐡道旅行]

 週末の休日を利用した鎌倉からつくばへの引越しは、部屋の片づけを残しなんとか終了し、その後、仕事上の異動のみを残すこととなったのですが、異動するまでの暫くの間、つくばの自宅から鎌倉の職場まで、通勤を試みていました。

 鎌倉の職場の始業時間までに到着する為は、TXつくば駅を朝6時前後に出発する必要がありますが、時刻表を見ると、TXつくば駅、秋葉原駅経由で、7時24分東京発伊東行きの521M普通列車に乗れば間に合うことが判り、通勤に初めて利用することにしました。

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 521Mは、東海道線の上り特急「踊り子」の送り込みを兼ねた、185系の普通列車です。この列車には、朧な記憶に拠れば、自分が小学5,6年生の時、一人旅を敢行した際に乗車した記憶があるのですが、それから20年以上も走り続けていたとは驚きでした。

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 早朝、つくばから鎌倉へ向かう為、朝食を摂る時間がないまま、列車に乗り込みました。車内で弁当を開くことも試みましたが、たとえ特急型のリクライニングシートが並ぶ車内であっても、それを許さぬ雰囲気が漂っており、結果的には、始業間際の短い時間に、職場の机で食事を取ることになりました。

 筑波鎌倉間の期間限定長距離通勤の最終日、片道100kmの通勤の記念にと思い、仕事のカバンを抱えての携帯電話でのカメラ撮影は恥ずかしいものがありましたが、方向幕と列車を撮影しました。


 部屋の中の片づけも目途が立ち、送別会での贈り物の品々の梱包を解いて、写真を撮りました。

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 花束と一緒とともに、自分の趣味を察していただき、湘南モノレールから江ノ電、大井川鐵道、宇宙など、鎌倉ならでは(?)の贈り物の数々を戴きました。そのうち一部は、つくばの職場の自分の机の上に飾らせていただきます。

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 鎌倉での勤務最終日と、その翌日の筑波での勤務初日は、クールビズの推奨期間であることは置いておき、別の送別会で戴いたネクタイを付けて出勤しました。

 東京駅で購入したJR東日本仕様のネクタイとのことでした。(ネクタイの裏には「JR東日本」のマークがあります。)戴いた職場の方々への話の種にと思って装着していたのですが、一般の方々はやはり気が付かず、通勤途中のJR職員の視線が、なんとなく気になりました。

 しかし、何から何まで、鉄道に纏わる職場の異動でした。 感謝、感謝、感謝です。鎌倉での貴重な業務経験もさることながら、非常に印象に残る異動でした。


横浜の市電保存館 [鐡道旅行]

 つくばから鎌倉へ赴任し、横浜に市電の博物館があるということを、初めて会社の人に聞いた後、結局その地に出かけたのは、その話を聞いてから2年近く経った震災前の休日でした。自分の中では、鉄道の博物館と言えば、その昔、秋葉原にあった交通博物館や、埼玉の鉄道博物館の印象が強く、横浜市の「市電保存館」という名称から、その規模の小ささを勝手に推察し、在住する近辺で、家族で一緒に出かける場所としては、優先順位が大分低いところに位置づけられていました。

 しかし、その考えが間違っていたことに、出掛けて初めて気がつかされました。

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 保存館の中では、実物の市電の車両が綺麗に展示され、車内の床や壁、シートなどは、30年以上前に廃車されてしまっているとは思えないほど綺麗に手入れが行き届いているように見えました。

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そして、幾つもの種類の電車が、車庫の中に並べらているかのように錯覚させられる展示ゾーンでは、 昨年の秋、初めて埼玉大宮にある鉄道博物館に出かけた時に感じた以上の、ゾクゾク感を感じました。(個人差はあるかと思いますが。)

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 実物の市電の展示スペースの隣には、博物館に寄贈されたHOゲージの鉄道模型のコレクションが置かれ、その傍にはHOゲージとOゲージの巨大レイアウトが陣取っていました。

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 レイアウトのほぼ中央下部には、中に人が入って、レイアウトの住民の視点で町並みを見ることのできるアクリルケースで囲まれた空間があり、レイアウトの下には、横浜市営地下鉄が走っていました。

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 この地下鉄は、我が子達には大人気で、レイアウトの下から抜け出してきた子供達は、興奮気味に「地下鉄が走ってたよ!」と話してくれました。 

 保存館の面積は小さいものの、運営されている方々が、鉄道のことが好き、というより電車が好きで、子供たちに横浜市電が走っていた頃の記憶を伝えようとする熱意と、愛着を持って市電を綺麗に保存されている、ということが実感できる、大変密度の濃い「博物館」でした。


上越国境の機関車 [鐡道旅行]

 昨年夏、家族を連れて、新潟にある新津鉄道資料館を訪れました。資料館では、信越本線や上越線の元国鉄機関士であった学芸員(既に現役を引退され、資料館に勤められている)の方とお話をすることができました。

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 その中で、1960年代の信越本線の光景から機関車のバーニア制御まで幅の広いお話ができたのですが、1970年代末期に、新型の機関車であるEF64-1000を開発し導入した背景として、水上機関区や石打機関区への補機の常駐を廃止することが視野にあったとのお話を聞くことができました。

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 ふと私が小学生の頃を思い出すと、世間ではブルートレインを牽引するEF65が花形の機関車として注目を浴びる中、一方の自分は上越国境を登る機関車に憧れていた節がありました。しかしながら、お小遣い数カ月分相当に値した鉄道模型(当時はTOMIXと有井製作所のみが製品化)を簡単に買うことは出来ず、近所の図書館から上越線の本を借り、写真から寸法を割り出しては、方眼紙ベースに、当時最新鋭の機関車であったEF64-1000番台を何両も作っていました。その経験は、今にとっては、自分が工学系分野に進むきっかけになったかもしれない良い(?)思い出の一つとなってしまいましたが。。。

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 再び今に戻ると、幼い自分が幾つも作った模型(モドキ)のEF64も、現実のEF64も、21世紀を迎え自分が社会人になり少し鉄道から心が離れている間に、開発の前提条件となった上越線からいつの間にか消えてしまいました。しかし、その後作り上げた創造の世界・常越本線では、機関庫の廃止も機関車の世代交代もなく、新旧の機関車がモータを唸らせながら山を上り下りしています。

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 私にとって、模型の中の世界は、過去の思い出を引き出す丁度良い付箋紙になっています。


583系、会津若松駅で雪に埋まる! [鐡道旅行]

 先日、サンタクロースの代役を引き受けたところ、風邪を引いてしまい外に出られなくなってしまいました。そこで、自宅で安静に大人しくしているのですが、ネットで会津若松駅のライブ映像をたまたま見たところ、停車中の583系が雪に埋もれて動けなくなっているのを見つけました。

aizuwakamatsu.JPG 2011年12月26日AM9:30 会津若松駅

JR東日本ホームページ上の運行状況を見ると、東北、上越、信越地方の幾つかの路線は、雪や強風の為、運休中のようです。

同日20:20追記 

 ライブカメラの映像に拠れば、583系はお昼過ぎには、駅から消えていました。磐越西線は、会津若松-津川間で終日運休、郡山-会津若松間は下り線運転再開、上り線運転見合わせ中(JR東日本19:08配信)だそうです。また、磐越西線と並走する国道49号線は、大雪の為、300台以上の車が立ち往生していたようです。(12月26日15時24分 読売新聞)

aizuwakamatsu-2.JPG 同日 20:10(雪は少し解けた)

 


日本帝國鐵道のホームページに、写真、鉄道名称の由来を追記しました。

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