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線路はつづくよ 子供までも [日本帝國鐡道 製造局]

 幼稚園に通っていた時、猩紅熱で初めて入院した時がありました。幼心にも、病室に隔離され両親にもなかなか会えずに感じていた心細い思いは、今でも漠然とした不安感として思い出すことができます。

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 その猩紅熱から解放され、ようやく退院した日、自宅に帰ってくると、父親はおもちゃの線路や鉄橋を自分に贈ってくれました。その線路は、その当時TOMYが「プラレール」とともに展開していた「スーパーレール」という鉄道玩具に付帯していたものです。今は、「スーパーレール」という玩具展開は行われておらず、発売もされていませんが(参考→「スーパーレール」wikpediaより)、線路とともに鉄橋やトンネルを贈られた時の嬉しさは、今でも思い出すことができます。

 その後、自分の成長につれて玩具から離れていく中で、この線路だけには思い入れがあり、進学、就職しても、一部の線路と電車(新幹線0系)だけは、捨てずに段ボールの中にしまっていました。結婚して、転勤と転居を行ううちに、既に何が入っているのかわからなくなってしまった段ボールでしたが。

・・・そして、気が付つくと、自分の子供が線路を引っ張り出し、電車を載せて遊んでいました。

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 猩紅熱を経験してから30年が経過し、同じような幼い子の親となってみると、当時の自分ばかりでなく、同時に親が持ったであろう不安感も同じように感じることができるようになっています。

 線路をつなげて遊ぶ子供の背中を見ながら、今は亡き父親の心境を想像してみました。

IMG_2906.jpg

自分が作った「日本帝國鐡道」のレイアウトの線路も、そのうち子供が引き継いでいくのかもしれません。

我が子を思う気持ちとともに、線路は続くよ、どこまでも。。。


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