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裏磐梯と軽便鉄道、そして復興 [鐡道旅行]

 9月下旬、子供の運動会が行われ振替休日となった平日、自分も休みを取得し、家族4人と福島県の裏磐梯へ出掛けてきました。今から20年前、高校の陸上部の合宿で毎年走っていた猪苗代湖畔から五色沼への道(往復30kmの道を、高校では通称「五色沼ロード」と呼んでいました)を、今回は車で登って来ました。

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ところで、陸上部の合宿で使用していたグランドから数キロ離れた所に、軽便鉄道と国鉄が接続していた磐越西線の川桁駅があります。

 鉱山から国鉄の駅まで硫黄を運ぶことを主目的においたこの軽便鉄道は、国の主要なエネルギー源が石炭から石油に変換し、原油から石油を精製する過程で得られる安価な硫黄が流通することによって、採算を得ることが困難となり、紆余曲折を経て、40年前以上に廃止になりました。

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10年ほど前の学生時代、野宿しながら東京-新潟-福島-東京の経路を一周する自転車旅行に出かけていた時に通り過ぎた川桁駅には、軽便鉄道が走っていたことを示す痕跡を見つけることはできませんでした。しかし、先日訪れた時は、駅の前に写真のような立派な記念碑が建てられていました。

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 川桁駅の待合室で昼食を取った後、通称「五色沼ロード」を車で登り、沼の一つである毘沙門池では、家族をボートに乗せ、水の上を漕いできました。まるで絵にかいたような平和な一日を終え、裏磐梯のホテルに一泊しました。


 今から100年以上前、1888年に磐梯山が噴火し、山体が崩壊し、裏磐梯に位置する村が全滅しました。土砂や岩石によって川は堰き止められ、一帯は荒地となったようです。その際、堰き止められた川によって、現在の五色沼や桧原湖の原型が作られました。

その荒涼とした土地を蘇らせようと、20世紀初頭当時開通したばかりの磐越西線を使って新潟から猪苗代駅まで鉄道を利用し、猪苗代駅から裏磐梯までは未整備だった道路を馬車を使って、10万本の苗木を輸送し、荒地に苗木を植え、裏磐梯一体の緑化を試み、そして成功した人がいます。会津出身の「遠藤現夢」という方です。(詳細参考wikipedia→「遠藤現夢」)

今となっては、言うまでもなく裏磐梯一帯は深い緑と湖に囲まれた一大リゾートとなっています。多くの人が観光やスキーに訪れ、自分自身も陸上部の合宿で周囲を走ったり、スキーをする為に度々訪れていました。その深い裏磐梯の森林の中、五色沼の自然探勝ルートから数100メートル外れたところに、遠藤現夢の御墓が建立されています。 

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 観光のメインルートから外れているため、訪れる人はほとんどいないように見えます。

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今年3月の東日本大震災、そして福島第一原発の放射性物質の拡散によって、福島の中は大変な状況になっています。自分が宿泊したホテルにも、原発事故から避難している方々が、事故発生から半年以上も経つにも関わらず、数10人滞在していました。

子供二人と妻を連れて、メインルートから外れたこのお墓をお参りしてきました。手を合わせながら、福島の土地が再び蘇るための様々な努力を見守ってください、と妻、子供共々お祈りしてきました。


裏磐梯から自宅のある筑波へ帰る途中、磐梯山を正面に望む高原に立地された風力発電所を見学してきました。

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福島県郡山市に位置する最大約6万kWの出力を持つ電源開発株式会社の風力発電所です。数十キロ離れた磐梯山の麓からも、この風力発電所に立てられた数十基の風車を見ることができます。この地は、恒常的に風が吹いている為、風力発電には適した土地であるようです。(参考wikipedia→「布引高原」)

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風車の高さは、風車の羽根を合わせると約100mあります、このような風車が33基も聳え立つ光景は、まさにヒューマンスケールを超えており、初めて見る壮大さに圧倒されてしまいました。そして、これらの風車が、100年以上に噴火した磐梯山と対峙して立っているかのように見えました。

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しかし、33基もの風車を抱えながらも、最大出力が40年前に作られた福島原発1号機の約10分の1、最新型の原発(新潟刈羽原発など)の約20分の1程度の出力しかない事実も、理解しなければなりません。

大震災後の事故のように、ヒューマンスケールを超える被害を事故によって生み出す可能性のある原発を、全て風力発電のような再生可能エネルギーに取り替えると、おそらく日本のほとんどの山が、ヒューマンスケールを超えた風力発電所になってしまうのではないか?

(原発1基分の出力=風車33基×10=風車330基、全国にある原子炉約50基分では、330基×50=16500基。 かつ、不規則な風による発電によって、定常的に安定な電力供給を実現しようとすると、更に数倍必要。)

ヒューマンスケールを超えた規模の33基の風車が立ち並ぶ光景を見ながら、原子炉一基だけでヒューマンスケールを超える電力を生み出す原発全てを、どのような手段で代替することが可能なのかどうか?

約100年以上前に噴火した磐梯山と、おそらく広大な荒地を見て立ちすくんだに違いない当時の人々、そして、荒地を緑の土地へ変えてきた人々の功績を思いながら、子供達と一緒に風車を見ていました。

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山梨の御坂峠にある石碑には、「富士には 月見草が よく似合ふ」と刻まれています。小さな月見草が懐大きい富士山と堂々と相対峙している情景を詠ったものだと、高校の時の授業に習ったような気がします。

裏磐梯の遠藤現夢の石碑には、以下の句がありました。

「ながきよに みじかきいのち五十年 ふんかおもへば 夢の世の中」

 


危機に瀕する日本: 日韓紛争概説 文化略奪と歴史歪曲に関する一考察 → 有志の方々(日本の思いを世界に届ける動画を多言語で制作するWJFプロジェクト)が作成されたプレゼン資料です。youtubeにてご覧できます。
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