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北海道根北線跡初探訪 [鐡道旅行]

 少し古い話題ですが、今年仕事が一区切り付いた母親と二人で、忙しい最中、時間を見つけて北海道へ一泊二日の二人旅に出かけてきました。 
 
自分は仕事が忙しく、仕事用のパソコンは肌身離さずでしたが。。。
 
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羽田空港を飛び立ち、すぐに茨城県上空を通過。 
 
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学生時代は、18きっぷと北海道フリー切符を使い、二日かけて到達した網走へ1時間半で到着。体は道東に着いても、心はまだ宇都宮辺りを漂っていそうでした。しかし、空港のロビーを出ると、明らかにそこは北海道。
 
さらに到着当日の天候は、低気圧が通過中につき大荒れの為、霙交じりの雨。そして、山間部は季節外れの雪とのこと。
目的地に繋がる道東の峠道は悉く通行止めとの話をレンタカーの事務所で聞き、急遽予定を変更して、根釧台地の果てを目指して、平野を走りました。
 
 
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途中見つけた大東亜戦争の遺構。 別海町にある計根別飛行場跡地です。味方の飛行機を上空の攻撃から守る為の筐体です。
 
大風の中、平原の中を更に東へ進み、野付半島へ。 高校生の時、「砂嘴」という自然の地形を学んだ時以来、いつかは行きたいと思っていた場所。悪天候による予定変更によって、思わず訪問することになりました。
 
 
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低気圧は、遥か千島列島を通過中にも関わらず、半島の上には風を遮るものが一切なく、身の危険を感じるほどの大風が吹いていました。 
 
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野付半島のネイチャーセンターで休憩後、雪で轍も消えかかった国道244号線を北上し、宿泊地の知床半島ウトロへ向かう途中に見つけた遺構。 
 
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釧網本線の知床斜里から標津線の根室標津まで結ぶ計画の下、戦時中に建設が進めれれていた根北線の未成部分です。 
 
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高校生の頃に読んだ宮脇俊三の旅行記の中にも、度々登場していた北海道の鉄道。その中でも、記憶に強く残っているのが、北海等開拓時代や戦時中、過酷な重労働によって建設が行われた石北本線の「定紋トンネル」と、この根北線の「越川橋梁」にまつわる話でした。 
 
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戦時中の物資不足の最中、ソ連を対象とした防衛の為、突貫工事で建設が行われていたという根北線。 
 
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霙交じりの雨の中、その存在を知ってから約20年ぶりの訪問。同行した母親は遺構の大きさに圧倒されつつも、自分の説明を良く聞いていました。
 
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越川駅跡で辺りを見渡し、この後、知床のウトロで一泊。。。
 
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翌朝、雪は更に積もり、摩周湖へ向かう道は雪のため全て通行止め。 
 
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裏摩周湖から根釧台地へ下り、釧網本線標茶駅を通って釧路湿原へ。 
 
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釧路川沿いの砂利道を通り、コッタロ湿原展望台へ。 
 
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その後、細岡展望台。さらに、釧路市湿原展望台。 
 
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帰りの飛行機まで時間があったので、阿寒湖へ。
 
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釧路空港に到着した時に、ちょうど日が暮れました。ようやく遅い夕飯。 
 
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一泊二日の強行日程で、余り経験のできない悪天候の中での親子二人旅でしたが、なかなか印象的な旅でした。
 
何よりも嬉しかったのは、悪天候の中でも、母親が楽しんでくれたこと。
父親が亡くなってから16年。母親も嘱託の仕事を今年終えたところ。ちょうど大台の年齢。良い記念になったのではないかと思います。
 
 
 

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